朴大統領暗殺事件を忘れてはならない〜スパイ船としての万景峰号。
大韓民国として建国間もない一九五〇年六月二十五日の韓国動乱勃発直前の同年六月七日、北朝鮮は平和統一の提案書を提出していて、いかにも和平を推進するがごとく見せかけ韓国を欺いて南進してきた。これが口火となって動乱が勃発した。世に言う朝鮮戦争である。 また朴正煕大統領によって韓日国交正常化がもたらされ日本の支援のもとに国家再建が推し進められていた一九七二年、南北朝鮮間で行われた七・四共同声明は和平を謳うものであった。このままで行くと南北間に灯りが見えてきたと喜んだ矢先に時を同じくして北朝鮮は三十八度線の非武装中立地帯で南進の為の秘密地下トンネルを掘り進めていた事実が発覚、世界のひんしゅくを買った。
一九七四年、特に八月十五日と言う日は、漢民族にとって特別な日である。朴大統領は陸英修夫人を伴って出席した式典会場で北朝鮮の放った暗殺犯に狙撃され、隣りに居た夫人が殺害されるという文世光事件は、犯人が在日韓国人であり、夫人殺害にもちいられた拳銃は、日本の警察が交番で奪われたもので、これらの犯行に日本人サポーターが介在していた事も明らかになって在日同胞を仰天させた。
文世光は頻繁に日本に寄港する万景峰号で北朝鮮へ密出国、数度にわたり軍事教練を受けている事も発覚、文世光自身北朝鮮のコマンドであった。
万景峰号は当時から北朝鮮の特別指令を受けた政治局員がいるスパイ工作船であった。我々、反共主義者同盟は日本の愛国者団体と共に万景峰号の日本寄港に断固反対を叫び一九七四年十月「在日大韓勝共統一評議会」を結成、以来、天保山桟橋へ十六回、敦賀港へ四回、四国松山へも出掛けてきびしい抗議行動をとってきたのである。それはとりもなおさず北朝鮮への抗議であり、日本国民と関係当局の覚醒と自覚を即すもので北朝鮮という国の危険性を示唆するものであった。我々、反共主義者同盟の初期の歴史は、一つにはこの万景峰号入港阻止運動史であったと言っても過言ではない。
我々「在日大韓勝共統一評議会」の流れを組む反共主義者同盟は北朝鮮が起こすこれらの事件は、放任問題で間違った自由主義を謳歌する日本社会、一見して自由、よく見ると勝手やり放題といった社会体制、本当はこの状態を危機と感じなければならないのに感じない大衆とそれに迎合する政治家によってもたらされたと思っている。そのツケが韓日数百人の拉致となって現れた。今後はノドンというミサイルになって現れてくる。そのミサイルの重要機能部分は日本製という。その先端に搭載されるのは広島・長崎へ投下された原爆の何十倍の威力がある代物で、いつ飛んで来るか判らない。
出入国は自由、密出入国も比較的安易、スパイ船とわかっていて堂々と入港されてもそれを止める事ができない。出港時は、満載の積荷で点検とは名ばかり、乗客乗員はフリーパスに等しい。朴大統領夫人を殺害した文世光は万景峰号で数度の密出国をくり返し、北朝鮮へ行くのは簡単だったと、本人の声である。