近産に朝鮮総連の影
それにしても近畿産業信用組合の急速な肥大化は目を見張る。経営陣トップの代表理事会長 奉植(青木定雄)は元々は朝総連の出身で、中途で韓国民団へ鞍替えした人物であるといわれ、同じく理事で会長と姻戚の京都西京病院院長金在河(松井在河)は元在日朝鮮人科学者協会委員長という最高幹部であったが、韓国民団にいつ鞍替えしたかそのいきさつは定かではない。金成河(77才)、金昌河(71才)、金玉姫(75才)の弟妹が、北朝鮮で健在、末弟の金玟河(69才)が韓国青瓦台で金大中大統領の腹心として「平和統一諮問委員会」の副議長の要職にある。議長は大統領本人であるから実質的トップということになる。この金玟河副議長は一九六一年から一九六三年(昭和三十六年~昭和三十八年)にかけて、韓国国防上のミステリアスなスパイ事件として話題を提供した黄泰成事件に深く関与した人物としてしられている。彼は、朝鮮共産党、新民党、人民党の三党が合併して立ち上げた「南労党」の慶北道党組織部長兼中央委員会委員であった黄泰成のシンパサイダーであった。一九四六年大邱 を起点に起きた暴動事件を主導した黄泰成が当局の追跡を掻い潜り越北し、翌年には北鮮政府の商業省地方産業局長に抜擢され昇進している。黄泰成が自ら越南して大韓民国を赤化統一する地下工作を行うことを金日成に建議したのは北鮮政府の貿易省副相の要職にあった時である。金日成の密名を受けた形で激励を受け、巨額の工作金を持ち案内員の手引きで休戦ラインを超えて、京畿道の?山を経由し、一九六一年八月三十一日夜半ソウルウイ洞裏山に侵入、越境に成功した。一日には従兄弟の金?河に合い協力を要請、金玟河の紹介で当時高麗大学教授の王学洙に接触、金日成の指令の内容を伝え、中央情報部長の金鐘沁へ意向を伝達するよう頼んだ。王学洙教授は黄泰成に九月二十一日頃金鐘沁部長と会うことができるという言質を与えている。黄泰成は金玟河を慶北の亀尾に行かせ、慶北時代親しくしていた趙女史を訪問、自分が越南した目的を伝えさせた。この趙女史こそ金鐘沁情報部長の妻の母である。黄泰成は金玟河の家に同居し、彼や彼の妻を連絡員に南労党時代の仲間である南労党傘下の農民連盟文化部長金東煥等と情報の交換や赤化活動の工作をした。だが韓国捜査機関により潜行五十余日目に逮捕され一九六二年七月軍法会議の一審判決で死刑を宣告され、これを不服として控訴、二審の高等軍法会議でも死刑を宣告された。一九六二年十月二十一日大法院に不服上告、大法院では一九六三年一月三十一日高等軍法会議の「判決に法適用の誤り有り」という理由でこれを破棄、事件自体を高等軍法会議に還送した。以来、国選弁護人の公判延期申請や主審である検察官が再三にわたって変更になったり予備役に編入されたりでうやむやになっているという事件。(以上の大部分は韓国陸軍高等軍法会議第二部の被告人への判決文を基にしている)この事件の生き残りは金鐘沁と金玟河ぐらいのもので歴史の証人でもあるが、この事件でわかる様に金玟河副議長は北朝鮮政府中枢にコネクションを構築、時の人となっていると見るべきであろう。もちろん金大中大統領も金玟河副議長も黄泰成同様一九四六年に結成された韓国の共産党とも言うべき南労党の党員であった。近畿産業信用組合は旧商銀の受皿信組と言うことになっているが、朝鮮総連からの転向組理事がかなり居ると言われているし、大口預金者の中に朝鮮総連からの転向組が隠れている。
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