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被害者の言い分
昨今、問題視されている慰安婦問題(以後慰安婦と表記)に関して一言、言いたい、日本の皆さんは日本が明治維新により鎖国が解かれ、封建制度の徳川幕府から帝国主義、天皇体制へと移行し、帝国主義を遺憾なく発揮し、帝国主義の意の如く、他国を犠牲にした侵略を繰り返し、自国の国益のみを追及したのである。政権移行時には大変な諸問題も噴出した事でしょう、国内問題を外へ逸らすのも一つの政治手腕でありました、大多数の貧困農民の不満解消の為に軍隊に入れ沈静化、この軍隊をより効率的に利用したのが大陸への侵略である。同時に貧困農家の女性は、農家の口減らしの為に、当時、女性の職業は殆ど無く、花街に身を置く事を安易に考えられた時代でもあっただろう、これが後に侵略地での女性の就業地となり、日本軍の慰安を目的とする、国家による斡旋、徴用した女性への性的奴隷、慰安婦に繋がったのである。
徳川幕府時代に受けたアメリカ艦隊による開港の要求、そして未開発国家の悲哀を、たった4杯の大砲で、それも空砲で威され不平等条約を結ばされた事と全く同じ事を、日本は韓国、当時の李氏朝鮮王朝(以後韓国と明記)に行ったのである。徳川幕府と同じ鎖国制度を採っていた韓国は、徳川幕府とは長年に亘り通信使を派遣し、友好を育んでいたのに対し、日本は明治維新体制直後から反政府気勢を殺ぐため、成り立ち許りの日本が見よう見真似の西洋式外交手段の国書を送り、拒否された事を口実に、最も近い隣人、、韓国に征韓論を唱え、アメリカ艦隊を真似、韓国に開港を強要、無理難題を繰り返し、閔妃殺害、終盤には首都漢城(ソウル)近くにまで侵攻し、江華島での軍艦からの発砲、上陸し、軍・民合わせ30名の死亡者を出した。アメリカが行った徳川幕府時よりも露骨な軍事行動を、アジア侵略布石の為、隣国、韓国を餌食にしたのである、以後、威圧外交、殺略を繰り返し1910年8月29日には完全支配し、植民地化され、日本の敗戦日の1945年8月15日いたるまで日本に支配されたわけである。
諸説はあるだろうが、韓国は歴史上に於いて不幸な時代があっても、維新前の徳川幕府とは長年友好を育んできた隣人であり、日本がまさかの行動であったと思った事でしょう、又、日本にすれば長年に亘り韓国と言う国情を知っての安易な行動が可能であったと推察されます、正に、日本は恩を仇で返す行動を取ったのである。この事により、日本は世界列強へ近づく為の出世術をいち早く取得したと思います、隣人を食い物にする帝国体制の始まりである。
日本は韓国統治にあたり、内(日本)鮮(朝鮮)一体をうたいつも、韓国人から言語を始めに、文字、文化歴史、氏名、を奪い、教育場での人事から村の交番の警官まで殆どを日本人で牛耳り、土地を含む韓国資産の97%が日本人の所有とされ、その上、日本の天皇を神として押し付けられ、天皇を祭る社をも作らさされ、毎日の参拝を強要され、日本の都合で、韓国人は皇国臣民、日本人になったと言うが、朝鮮人と差別し軽蔑の目で略殺したのは、同じ皇国臣民の日本人であった。未だに一部ではありますが朝鮮人と言っては差別をしている人がいるのも事実ではありませんか。これ等の出来事は私達韓国人は肝に銘じて忘れることなく、国家は小国であっても国家体制の充実、国力が如何に大切で、民族を大同団結するかをも学びました。逆の立場であれば皆さんはどう考えますか。
さて、本題の慰安婦であります、日本は古代史(日の本は女性によって岩戸を開いたとされる歴史)は、さて置き、明治前の徳川時代に、既に、性的奴隷を制度化された社会風土があった事は多くの文献、柔らかに言うなら現代版の映画、テレビなどを見れば良く分りますし、江戸時代の浮世絵も遊女を描いた、性奴隷の女性を描いた絵画文化ではありませんか、花街、遊郭、寺社仏閣のある門前界隈の岡場所、名所、霊山の麓にも、日本全国津々浦々にまで、街道の宿場には必ずと言っていいほど、女郎屋、宿屋の飯盛り女等など、拘束された慰安婦が存在していた。また虐げられていた女性(慰安婦)、苦界に身を沈めた娼婦の悲話が映画、テレビでよく見て、知っている筈です、慰安婦も、娼婦も、廓の花魁も、女郎も性的奴隷であり社会の被害者ではありませんか。勿論、古代、初めてビジネスが売春だと言う事は聞き及んではいます。
他国の事はさて置き、日本人は抑圧された女性を性的奴隷として扱い、その事に慣れっこに成ってはいませんか、そして罪悪感を感じなくなっているのではないでしょうか。私達反共主義者同盟はいろいろな資料を、調査をもしましたが、維新から日本の敗戦まで日本国内都道府県総てに廓が存在しており、殆どが、籠の鳥(性的奴隷と同じ)で、人身売買された女性達であったし、これ等のことが国家公認の国策事業であった事も事実であるし、この公娼制度は実質、戦後の昭和33年まで続いていた事も知っておくべきでしょう。
慰安婦を否定している橋下大阪市長さんが顧問弁護士をしていた飛田料理組合は、紛れも無く既存する、現役の遊郭で、所謂、だれもが言う、慰安所、飛田新地です、この事は、万人が認めている事実でありながら、彼は否定する、それも、所在地の自治体の長が、法を守るべき司直の弁護士が違法行為を容認、又、どこにでも慰安婦が存在したんだと言う、開き直った発言に及び、他所にあるから許されるんだと言う、これ等の発言が、総てが、日本人の国民性を物語っていると思われるのですが、間違っていますか。補足させて貰うが、飛田新地は戦前、既にあった松島新地が飽和状態で補足の為、新たに、日本国が国策的に作った、所謂、国営慰安所、遊郭でありました。、侵略地(外地)では、ピー屋と言われる兵隊専用、将校専用を分けた慰安所があったことも知るべきであり、これらの慰安所は日本人遊女を金で縛り強制的につれて来られた、日本人慰安婦である。、現在も自衛隊基地、ではなく、自衛軍基地近くに、未だ、慰安所があります、良ければ、橋下大阪市長さんをご案内したいものである。参考として、戦後、昭和60年前後の映画だと思いますが、伴淳・アチャコの二等兵物語や、その後の、勝新の兵隊やくざを見れば、慰安所に通う兵隊、帝国軍人が如何なるものか、様子がよく表現されていると思いますので一度見られたらどうでしょうか、その他、性的奴隷の悲話物語はジャパユキさんや、廓、女郎に絡んだ映画、日本文化の古典にも多く見られますので参考にされたらどうでしょうか、追伸、五番町夕霧楼は有名人作家が書いた小説であり、映画化されていますので、是非、参考にしてください。
そして、韓国人慰安婦である、戦前は韓国人・朝鮮人でさえ、皇国臣民、新日本人である、戦中、日本で多くの一般民間人が駆り出された事と同じように、日本人の代用として、臣民韓国人にも徴用されたのである、所謂、女子は女子挺身隊と言う美名の下に騙され、その一部の人が行き場所さえ分らず、身を捧げる性的奴隷の皇国臣民にされ、韓国人女性も日本人女性と同じ虐待を余儀なくされた事は紛れも無い事実である。日本国内の兵舎近くには、必ず慰安所があったし、当然、アジア、大陸の侵略地、総ての地でも存在し、敗戦直前の特攻基地近くにも、慰安所に身を挺していた皇国臣民慰安婦がいたのである、又、侵略地で兵糧、慰安婦も調達していた事は、すでに日本は認めている事実ではないですか、インドネシアでのオランダ女性強制慰安婦問題は認め、謝罪するが、アジアの民は人間ではないと言うのですか、日本人の強制慰安婦も存在していた事も併せ知るべきである。
台湾、韓国人は皇国臣民の新日本人である事から、純粋な日本人慰安婦として誇りを持てとでも言いたいのでしょうか、台湾、韓国人は国内外に女子挺身隊として派遣された日本人慰安婦であり、韓国人慰安婦と言うから、問題に成るのである。軍国、日本帝国が行った慰安婦問題として日本人自身が問題提議をせねば成らない筈の問題を、韓国人問題とする事の間違いに気付くべきでしょうし、又、よく問われる証拠は、日本の皆さんのハートの中にあるでしょうし、戦争が敗戦状態に近づくと軍部は証拠類を処分して、隠滅を図るのは敗戦国の常套手段ではありませんか、又、侵略支配されている奴隷に証拠を求める事が、如何に無理難題を求めている事に気づいていただきたい。
昨今、ヒスリテックに声を荒立てている女性知識層、国会議員の皆さん、女性弁護士までが、貴方方は慰安婦と同じ女性でしょう、同姓として、軍国日本がした性的奴隷の女性を、軍国、侵略軍人達の餌食された人達の屈辱を一度でも考えた事がありますか、鬼畜と言った欧米の慰安婦には謝罪し、当時日本人であった台湾、韓国人女性や、日本の性的奴隷の女性には謝罪が無いのに疑問を持ちませんか、そして、韓国人を36年の間、皇国臣民としての強要をも否定し、都合が悪ければ朝鮮人扱いで事を済まそうとお考えなんでしょうか。今後も悪しき時代の、旧皇国臣民の言い分を綴りたいと思います、未来志向の為に。ブロブにても同様の論及を掲載していますので
http://blog.zaq.ne.jp/hankyo/
を参照してください。